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なぜ内田篤人はシャルケで愛されたのか? 地元紙番記者が回想「ウッシー、ラウール、フンテラールは特別な存在」【現地発】

記事の内容

シャルカーが涙して惜別のセレモニー

 シャルケで約7年間プレーした内田篤人は、この歴史あるクラブにおいて今も忘れられていない。それは彼のプレースタイルと人柄によるところが大きい。いずれもルール地方の“スタイル”にマッチしたからである。

 2017年9月10日、多くのシャルカー(熱烈なシャルケ・ファン)が涙を流した。その数週間前にウニオン・ベルリン(当時2部)へ移籍した内田篤人が、別れの挨拶をしようと、再びシャルケの本拠地フェルティンス・アレーナに姿を見せたからだ。

 大観衆の前でマイクを持った内田は、少し苦労しつつも、ファンたちにドイツ語で語りかけた。

「僕は7年間、シャルカーでした。それは僕にとって、人生で最も素晴らしい思い出の一つです。辛かった時も、あなたたちがいつも僕の味方となり、応援してくれました。僕のハートはこれからもずっと、シャルケのために鼓動し続けるでしょう」

 最後は「グリュックアウフ!」(幸運を祈るという意味。シャルケのスローガン)と炭鉱労働者の言葉で締めくくられたそのスピーチに、満員御礼のアレーナは拍手喝采。そして、北側スタンドに陣取る最も熱狂的なサポーターたちは、数分間に渡って、「ウッシーダ、オー、オー、オー!」とチャントを合唱した。

 この送別セレモニーは、2010年の夏に鹿島アントラーズからルール地方へやってきた日本人サイドバックが、ただの選手ではなく、シャルカーたちのハートを掴んだ男であることを改めて示した瞬間でもあった。

 内田は、ルール地方のファンたちが名誉やタイトルよりも高く評価する「ハードワーク」を体現する、特別な選手だった。当時のクレメンス・トゥニエス会長もこう賛辞を送っている。

「自分のことをケーニッヒスブラウ(王様の青:シャルケのチームカラー)のサムライだと言っていたが、その通りのプレーをし、いつも最後まで戦ってくれた。心からありがとうと言いたい」

 この言葉だけで、シャルカーたちが、内田があれほど愛された理由がわかるだろう。彼は多くのファンに、「特別なクラブのためにプレーして戦っていることを心得ている」と感じさせた選手だった。

俊英ドラクスラーは「僕が知るなかで最も…」

 2010年夏、フェリックス・マガト監督に率いられ、チャンピオンズ・リーグ(CL)出場権を獲得していた当時のシャルケは、驚くべきことに17人もの選手を獲得した。

 だが、シャルカーに今も記憶されているのは、オランダ人ストライカーのクラース=ヤン・フンテラールとスペイン人の世界的スターだったラウール・ゴンサレス、そして内田だけである。それほど特別な存在だった。

 加入してすぐに先発入りした内田の右サイドでの攻め上がりと高精度のクロス、そして彼がボールを持つたびに巻き起こった「ウッシーーーー」という掛け声は忘れがたいものがある。

 ちなみに「ウッシー」とは、ルール地方で「ウーズラ」という女性名の短縮形である。移籍当初、ファンたちが「ウチダ」という名前が覚えられずに困ったため、自然とそう呼ばれるようになった。

 その「ウッシー」は在籍7年間で152試合に出場し、2ゴール・18アシストという結果を残した。だが、彼が人気を集めたのは、パフォーマンスだけが理由ではない。ピッチ内外での立ち居振る舞いと愛嬌のある意味ありげな笑顔は、とりわけチームメイトに好まれた。

 ユリアン・ドラクスラーやセアド・コラシナツ、ベネディクト・ヘーベデスらは、言葉の壁があるにもかかわらず、丁寧にコミュニケーションを取る内田を愛していた。当時、期待の俊英だったドラクスラーに至っては、「彼はいつでも、ファンたちをリスペクトしている。僕が知る、最も礼儀正しい人間の一人だよ」と言っていたほどだ。

 もしも、内田がシャルケでの最後の2年間で怪我に苦しまなければ、今でもこのクラブでプレーしていたかもしれないと思わずにはいられない。

 それほどシャルケに愛されたウッシーは、3年前の言葉通り、スパイクを脱いでもシャルケを愛し続けるだろう。このクラブには、昔からこんな格言がある。

「一度シャルカーになったら、ずっとシャルカーだ」

文●オリバー・ミュラー(Oliver Muller/ヴェルト紙シャルケ番)
翻訳●円賀貴子

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5d14e251eefb6fd3de20cbd7992fc51579018123

 

1:名無しさん@さかまと!

熱烈に歓迎されてクラブに加入した日本人選手は何人かいるけど、惜しまれながらも盛大に送り出してもらえる選手は少ない。ウッチーのクラブへの愛と貢献度と人柄あってなせるものなんだろうね。

 

2:名無しさん@さかまと!

ノイアーにも愛されていたよね。
特に東日本大震災直後の試合後のユニフォームに書いたメッセージのエピソードは、今や世界トップクラスの守護神との絆のエピソードだったと思う。

 

3:名無しさん@さかまと!

なんと言っても人柄だろうね。
しかもイケメンで大活躍。
愛されない理由が見当たらないよ。
モテモテだったはずだけど、幼馴染みの女性と結婚したってのもいいなと思った。
お相手もそれだけ素晴らしい方ということだね。

 

4:名無しさん@さかまと!

ってか、今振り返ってもマドリーの至宝だったラウールとチームメイト、
共にCLベスト4まで勝ち抜いた戦友って凄い事だよな

 

5:名無しさん@さかまと!

ベビーフェイスで愛嬌のある顔立ちで、ゴツい顔ぶれのブンデスではパパドプーロスと共に癒し系だった。
CLで躍進した時も、攻守において重要なタスクをこなしチームを助けていた。当時のサイドバックとしては高い完成度だったと思う。

 

6:名無しさん@さかまと!

記事を読んでいると、その場面が色々と想像できて、目頭が熱くなった。朝からいい記事を読ませて貰った。ありがとう。

 

7:名無しさん@さかまと!

CLやルールダービーでスタンドから自分の名前をコールされながらプレイするなんて、何ものにも替えがたい素晴らしい体験だろうね。

 

8:名無しさん@さかまと!

ファルファンとの相性は抜群だったな
あのコンビなら大体のチームは自陣の左サイドを
簡単に突破されてかなり手を焼いていた
当時を知らない人達は是非、動画を見つけてみて欲しい

 

9:名無しさん@さかまと!

人柄もあるけど単純に出た時の右サイドの安定感でしょ。当時右サイドバックであれだけビルドアップに絡む選手いなかったし、ファルファンもものすごくやりやすそうだった。
ちなみにドイツでは香川と内田はそこまで顔の違いが分からないらしいね。

 

10:名無しさん@さかまと!


この記事、ものすごく感動しました。

 

11:名無しさん@さかまと!

ノイアーだけでなくラルフフェールマン、ラースウンナーシュタル、ティモヒルデブラント
代表での川島 GKから見たらあの献身的な守備は頼もしいんだろうなー

 

12:名無しさん@さかまと!

あの藤田さんも、たいして活躍してないのに、短い期間だったのに、オランダで人気があった。画面ごしに伝わってくる人柄が好きで藤田さんを応援していた。それでいて内田選手は活躍もしたから、人気なのもうなずける。

 

13:名無しさん@さかまと!

怪我して2年間、本人には長かっただろうけど、クラブはよく待った。これ、かなり特別なことだよ。

 

14:名無しさん@さかまと!

シャルケ晩年の二年はプレー出来なかったのにこんだけ好かれるのは人柄なんだろな

 

15:名無しさん@さかまと!

比較は難しいけど、キャプテン翼くんが目指すサッカー人だね。素晴らしい。

 

16:名無しさん@さかまと!

個人的にはCLの時に
グラウンダーのクロス入れた時に
フンテラールに入れようとしたらラウール
の方に行ってしまって《フンテラール、ゴメ〜ン》
ってコメント残した話が好きですw

 

17:名無しさん@さかまと!

他に地元サポーターに愛された日本人選手って誰か居たかな?中村俊輔ぐらい?

 

18:名無しさん@さかまと!

泣ける。
サッカーやっててよかった。

 

19:名無しさん@さかまと!

泣ける

 

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