記事の内容
驚くような再オファーが届いた。
「ズミ、監督に興味ある?」
今年1月、現役を続行するかどうか悩んでいた。ひと月前に選手として声をかけられたときは返事を保留。J1から数えれば、5部に相当する関西リーグ1部のクラブである。正直、気持ちは前向きではなく、プレーヤーとしてほかの可能性も探っていた。しかし、このときばかりは即座に反応。名古屋グランパス時代の盟友でもあるFCティアモ枚方(大阪)の巻佑樹ゼネラルマネジャーへ瞬間的に返答していた。
「監督ならやりたい」
昨シーズン限りでアルビレックス新潟を契約満了で退団した小川佳純は、未練なくスパイクを脱ぐことを決めた。この8月で36歳、それはプロキャリアの晩年からずっと考えていたことである。
「この選手は、あのポジションで起用したほうが、もっと生きるんじゃないかとか、自分のことよりもチームを動かすほうに興味を持つようになっていました」
選手の感覚が色あせないうちに。
2017年途中にサガン鳥栖から新潟へ移籍して以降は他チームの試合もよくチェックし、アンジェ・ポステコグルー監督が率いる横浜F・マリノス、ジョゼップ・グアルディオラ監督が指揮を執るマンチェスター・シティのサッカーに感銘を受けた。
気付いたことをノートに書き出し、メモまで取る。引退後の人生について考えを巡らせると、自ずと道は明確になった。チームの編成に関わる強化の仕事か、トップチームを率いる監督。もちろん、簡単にたどり着けないことは分かっている。トップチームのコーチ経験を積んだり、育成年代からステップアップしていく指導者も多い。その現実は理解しているが、階段を一段ずつ上がっていくつもりもなかった。
「コーチから段階を踏んでいく流れは否定はしません。ただ、僕は選手の感覚が色あせないうちに、トップの監督になりたかったんです。プレーヤーとしての感覚をすぐに伝えたかった。だから、こんなチャンスはないと思いました。チャレンジして得るもののほうが多いなって」
監督歴は関係ない。ピクシーもそう。
指導経験はゼロ。JFA公認コーチライセンスはC級のみ。現在、B級ライセンスを取得中である。それでも、無謀な挑戦とは思っていない。1年目から結果を残すことを誓い、強い覚悟を持って引き受けた。
名古屋時代に指導を受けたピクシーの愛称で親しまれるドラガン・ストイコビッチ監督のことをふと思い返す。監督未経験ながら初年度からJ1で3位となり、2年後の2010年にはリーグ初制覇に導いた。
「1年目から結果を残せる人もいます。監督歴は関係ない。カテゴリーは違いますが、ピクシーもそうでした。最初からチームを勝たせ、選手を成長させたいと思っていました。僕も目指すところは同じ。初年度から面白いサッカーを披露し、結果も残す。そうすれば、評価されるはずです。日本のサッカー界にインパクトを与えたい。そこはひとつのモチベーション。1年目だから仕方ないとは言われたくないですね」
全員が連動した攻撃サッカー。
今年1月21日から指揮を執り始め、はや7カ月。コロナ禍の影響でリーグ開幕が当初の4月から4カ月も遅れたこともあり、じっくりと準備を重ねてきた。
型にはめるような指導はしない。ピッチ内でプレーし、判断するのはあくまで選手たち。その考えは現役時代から変わらない。ただ、監督の思い描く戦術を明示し、全選手に浸透させなければ、チームはバラバラになる。
目指すのは、全員が連動した攻撃的なサッカー。ボールとスペースを支配し、ゲームを掌握したいという。ボールを失えば、すぐに回収するのが理想だ。無理にやらせるのではない。納得してもらう作業に時間を費やしている。
「サッカーに正解はありません。プレーの選択肢もいくつもある。僕はこっちの方でやりたいと思っていても、選手は違う方法が正しいと思っている場合もある。そこで“こうしろ”と頭ごなしに押さえつけるのではなく、繰り返し話し合うことが大事」
二川孝広、野沢拓也、田中英雄。
現役時代にJ1で通算301試合に出場し、名古屋時代にはリーグ優勝も経験。華麗な経歴を持っている小川監督でも、その肩書だけでティアモ枚方をまとめることは難しい。
ただの地域リーグのクラブではない。将来、Jリーグ入りを目指しており、所属選手たちを見ると、元Jリーガーがズラリと並ぶ。ガンバ大阪で長年10番を背負っていた40歳の二川孝広を筆頭に、鹿島でリーグ3連覇に貢献した39歳の野沢拓也もいる。主将を務めるのは、ヴィッセル神戸で長く活躍してきた37歳の田中英雄だ。小川監督より長くJリーグでプロキャリアを積んできた大先輩たちがいるのだ。
「それぞれ積み上げたものがありますし、そこはリスペクトしています。当初は僕の伝え方がへたでうまくいかない時期もありましたが、意見交換しながら、すり合わせてきました。いまでは僕のやり方を理解してもらい、実践してくれています。監督の僕が選手を押さえつけて、個性を削ぎ落とすことだけはしたくない。選手って、納得できないといいプレーが出ないものです。それは僕もよく分かるから。ここまでの進め方は間違っていないと思います」
苦笑まじりの言葉には苦労がにじむ。
市船OBの秋葉監督を言葉を実感。
監督に就任してからは、お世話になった恩師や指導経験を持つ先輩たちに相談し、助言を受けてきた。同じ市立船橋高のOBである水戸ホーリーホックの秋葉忠宏監督もそのひとり。しみじみと実感している言葉がある。
「監督業はマネジメントがすべて。それが一番の仕事と言ってもいいくらいだ」
小川監督は練習前後の選手たちの立ち振る舞いをよく観察し、チームメイト同士の関係性からそれぞれの性格をつかむ努力を怠らない。個性に応じたコミュニケーションの取り方を考え、毎日のように互いの理解を深めることに心を砕く。監督になっても気遣いができて親しみやすいキャラクターは変わらない。落ち着いた口調も選手時代と同じだ。
「急に自分らしくない立ち振る舞いをしてもね。どっしり構えて、冷静に必要なことを伝えていきたいです」
目標は監督としてもJ1の頂点に立つことだが、当面のミッションはJFL昇格。単年契約で否が応でも勝負の1年となる。いまは関西リーグ制覇を目指し、強くて魅力あるチームをつくり上げることに集中している。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/14385a72756865455f0906cbcd963a587c8d0d1f