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久保竜彦の忘れられない左足一閃。あのチェコ戦が今も心に残る理由。

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2004年4月28日の試合と言われても、ピンとくる方は少ないかもしれない。
それでは、ジーコジャパンのチェコ戦と言えば?
「ああ、あの試合か」と頷くサッカーファンは多いに違いない。
そして、前半33分のゴールシーンが記憶から引き出されてくるだろう。

右サイドからドリブルで持ち込んだ久保竜彦が、ペナルティエリア内から左足を振り抜く。
重量感のある一撃が、ゴールネットに突き刺さる。
青空が眩しいプラハのスタジアムに、「ズドン!」という音が響き渡った。

日本人からすれば、久保のマークがあまりに緩い。
ドラゴンと呼ばれた左利きのストライカーは、
2月に行われたオマーンとのドイツW杯1次予選でゴールを決めていた。

しっかりとした情報を持っていれば、利き足の左足で打たせない対応をしただろう。

もっとも、十分なスカウティングなしでも日本を倒せる実力を、
当時のチェコが備えていたのは間違いない。

カレル・ブリュックナーが率いるチームは、
2001年11月のベルギー戦から直前の2004年3月まで20戦不敗の記録を打ち立てていた。
とりわけホームでは10勝1分と、圧倒的な強さを見せている。

2003年欧州最優秀選手で主将のパベル・ネドベド、トマシュ・ロシツキー、
ミラン・バロシュ、ヤン・コレル、マレク・ヤンクロフスキーらの主力選手は、
イタリア、イングランド、ドイツなどのクラブで存在感を示している。

21歳のGKペトル・チェフは、フランスのスタッド・レンヌで国際的な評価を高めつつあった。
スパルタ・プラハ所属のカレル・ポボルスキは、
マンチェスター・ユナイテッドやラツィオでプレーした32歳のベテランである。

ベストメンバーを揃えてきたチェコとは対照的に、日本は主力が欠場していた。
3月に行われたドイツW杯1次予選のスタメンでは、
宮本恒靖、中村俊輔、高原直泰がケガで合流できなかった。
プラハへやってきたキャプテンの中田英寿も、
足の付け根の痛みから欠場を余儀なくされてしまう。

ケガ人に代わって招集した選手が「クラブで慣れている」という理由から、
ジーコは直前のハンガリー戦で3-5-2のシステムを選択した。

ブラジル人指揮官は2-3で競り負けた3日前に続いて、チェコ相手にも3-5-2で挑む。
3バック中央の田中誠と同左サイドの茶野隆行、右アウトサイドの西紀寛は、
ハンガリー戦で国際Aマッチにデビューしたばかりだ。

久保と2トップを組む玉田圭司も、チェコ戦が3試合目となる。
彼我のメンバーと戦術の練度を比較すれば、日本の劣勢は明らかだった。

逆説的に考えれば、それでも勝ったところにこの試合の価値がある。
試合翌日の新聞各紙には「金星」の文字が躍ったが、
海外組が急速に増えていったジーコのチームは、
日本代表の歴史でも群を抜いて選手層が厚かったと言える。

FWにはタイプの異なる選手が揃っていた。
本格派の高原と万能型の柳沢敦を筆頭に、ポストワーカーの鈴木隆行、
スピード豊かなドリブラーの玉田、ジョーカータイプの大黒将志、
空中戦に強い巻誠一郎、一発を秘める大久保嘉人、
ワンタッチゴーラーの佐藤寿人らが、ジーコのもとでポジションを争っていくことになる。

キャラクターがはっきりとした選手が揃っているなかでも、
久保は異質な存在だったと言える。

力強さがありながらもしなやかで、ダイナミックでありつつ粗さはない。
ゴール前で軽やかに身を躍らせるアクロバティックなゴールには、
「規格外」という表現も当てはまっただろう。
左利きのストライカーというのも、セールスポイントである。

スケールの大きなレフティーに、誰よりも惚れ込んだのがジーコだった。
2004年のシーズン途中から腰痛などに苦しむ久保を、辛抱強く招集していった。

「ケガさえなければすごい選手になる。海外でも十分にプレーできる」と話していたものだった。

2006年のドイツ・ワールドカップはグループリーグ敗退に終わり、
ジーコは日本代表に別れを告げてフェネルバフチェの監督となる。
トルコのイスタンブールへ彼を訪ねると、ジーコの方から久保に話題を向けてきた。

ワールドカップのメンバーを23人に絞り込むのは、本当に大変な作業だった。
連れていきたい選手は、もっとたくさんいたからね。
ワールドカップで見てみたい選手もいた。たとえば久保だ。
彼の左足は、大げさでなくワールドクラスだよ

フィリップ・トルシエが指揮した1998年から2006年のドイツ・ワールドカップ直前まで、
久保は国際Aマッチ32試合に出場した。

2000年のアジアカップと翌年のコンフェデレーションズカップでメンバー入りしているが、
どちらも1試合の出場に終わっている。
そして、どちらの大会でもほとんどインパクトを残していない。

ワールドカップ出場も逃している。
日本代表での足跡は決して色濃いものではないのだが、彼のプレーは忘れられることがない。
日本代表のストライカーが語られるときに、日本人選手の身体能力が論点になるときに、
左利きのストライカー不足が嘆かれるときなどに、比較対象のひとりとして久保が浮上してくる。

なぜか。

ストライカーとしての血が濃いから、という気がする。
すべてが分かりやすい、とも言えるだろうか。

システムや戦術に必要以上に縛られることなく、
点を取ることにのみ集中しているので、観ているこちらもスッキリするのだ。

前半に点が取れなかったら、ハーフタイムに代えられてもしかたないと思ってます」と、久保は話していた。
点を取るぐらいしかできないですから、それ以外のことを求められてもできないので」と。

ピッチ外では恐ろしく控え目である。
チェコ戦後に記者に囲まれると、視線を足元に落としたまま
決まって良かったです」とだけ話してバスへ乗り込んだ。

6月のインド戦で先制点を決めたあとは、「適当に合わせました」と振り返った。
フォトジェニックなジャンピングボレーを「適当」と言うところがまた、久保らしかったと言うべきだろう。

飾り気のないコメントはむしろ好感度を呼び、それがまたピッチ上での魅力を引き立たせた。

(「サッカー日本代表PRESS」戸塚啓 = 文)

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