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柏木陽介が語る『浦和をクビになった理由』が面白いwww

450: 2022/03/11(金) 11:34:48.98

記事の内容

柏木陽介が浦和を去ることになった「1年前のルール破り」を語る。まさか本当に必要とされなくなるとは…

まさか、ここまで大事になるとは思っていなかった。

外出禁止の掟(おきて)を破ったことはよくないことだと理解しているし、チームに迷惑をかけたことも十分に反省している。

ではなぜ、柏木陽介は厳しく定められたルールを破ってしまったのか。

2021年2月4日の夕刻、柏木はチームメイトの杉本健勇を連れ立って、キャンプ先の沖縄で懇意の飲食店を訪れた。

「お世話になっているお店がコロナ禍で苦しんでいるのを知っていました。すごく困っているということだったので、ちょっとだけ顔を出してあげようと思い、お店を貸し切りにして行くことにしました」

もちろん、うしろめたさはあった。

「お世話になっている人といっても、みんなが我慢しているなか、ベテランで、自覚を持たなければいけない立場の僕が、そういう行動をとったのは当然よくないことです」

柏木にエクスキューズがあるとすれば、コロナ禍における初めてのキャンプだったということ。ルールはあるものの、それを破った場合にどれだけの報いを受けるかまでは、想像できていなかったのかもしれない。

ちょっとだけならいいのではないか----。

しかし、その甘い考えが、柏木のサッカー人生を大きく狂わせることになる。

2010年にサンフレッチェ広島から加入して以来、柏木は長年、浦和レッズの司令塔として君臨し続けてきた。2016年にはルヴァンカップを制し、翌2017年には大会MVPに輝く活躍で、チームをACL制覇に導いている。

ところが2019年は出番が減少し、2020年はケガの影響もあり、自身のキャリアで最も少ない9試合の出場にとどまった。

だからリカルド・ロドリゲス監督が就任した2021年は心機一転、自身が輝きを取り戻すためのシーズンとするはずだった。

「モチベーションも高かったし、身体も動けていたので、楽しみではありました」

だから、もったいないと思うのだ。柏木のプレースタイルはリカルド・ロドリゲス監督のサッカーに合うと考えられていたし、復活の土壌は整えられていたはずだったからだ。

挫折を知らないキャリア

「うまく伝えてほしいですけど......」

柏木はそう前置きしたうえで、当時の心境を語り始めた。

「2年間、苦しいシーズンを過ごしてきたなかで、自分のなかでストレスが溜まっている部分はありました。それをうまく発散できなくて......。浦和愛が強すぎた分、浦和のためにすべてを捧げて、浦和で引退するんだということばかりを考えすぎて、視野が狭くなっていたと思います。

試合に出られず、それができない状況になったことに対してフラストレーションを溜めこんでいました。それは今、こういう状況になって、初めて気づいたことです」

もうひとつの原因は、"挫折"を知らないキャリアにあったのかもしれない。

「それまで順調にいきすぎていましたね。サッカー選手として、ずっと試合に出続けて、代表にも呼んでもらって。もちろん、もっと代表に絡みたかったという想いもありますけど、正直、マイナスなことがほとんどないサッカー人生を送れていたと思います。

そこにも慢心があったんでしょうね。試合に出られなくなった時の自分をコントロールする術(すべ)を知らなかったんですから」

受け止め方によっては言い訳に聞こえるだろう。

しかし、すべての行動には理由がある。柏木は偽らざる胸の内を明かしてくれたのだ。言い訳ではない。あの"事件"の背景は、これがすべてである。そして浮かび上がるのは、柏木陽介という男が抱える"もろさ"ではなかったか。

「まさか、こうなるとは思っていませんでした......」

自身のもろさによって犯した過ちは、最悪の事態を招くことになる。

「僕の場合はこれだけの話じゃなくて、前の年の件もあったなかで(※コロナ禍で禁止されていた家族以外の知人との会食が判明)、今回も許してくれるんじゃないかという甘さがありました。長くやってきた選手をそんなに簡単には切らないだろう、という慢心もあったと思います。だから、まさか本当に必要とされなくなるとは考えてもいませんでした」

浦和愛は今でも抜けない

そんな甘い考えは通用するわけがなかった。柏木が浦和から告げられたのは、移籍という現実だった。

「正直、現実味がなさすぎて、実感が湧きませんでした。もちろんショックだったし、取り返しのつかないことをしてしまった自分を責めることしかできませんでした。

家族だったり、自分のことをサポートしてくれているたくさんの人たちを苦しめる形になってしまったことも本当に申し訳なくて......。あまりにもショックが大きくて、現実のこととして受け入れられなかったですね」

ようやく、現実と感じられたのは、チームにお別れの挨拶をする時だったという。

「その時はほとんどしゃべれないくらい感情が湧き出てしまって。ああ、俺、本当に移籍するんだなって......」

強すぎる愛を捧げながら、浦和で過ごした11年と1カ月。最悪の去り際になったとはいえ、柏木にとってはかけがえのない時間だった。

「浦和に来てよかったと思っているし、浦和愛は今でも抜けないですね。サッカー選手としても、人間的にも育ててもらったと思っています。厳しい環境に身を置き、たくさんのうまい人とプレーすることで成長できた。

サポーターからの厳しい声もありましたけど、それも含めて自分を強くしてくれたと思っています。あれだけの環境のなかでやれた喜びを、それができなくなった今、あらためて感じているところです」

後悔があったとすれば、浦和にリーグタイトルをもたらせなかったことだ。

「ほかのタイトルは獲ったけど、リーグ優勝はできませんでしたから。年間勝ち点1位を獲っても優勝できなかった年もありました。そのあたりの勝負弱さも含めて、リーグを獲れなかったことが唯一の心残り。うれしかったことはたくさんあったから、獲れなかった悔しさが一番大きいですね」

「浦和の太陽」と呼ばれ、サポーターから愛された選手だった。

「愛されていたかわからないですけど、岐阜に行っても応援するという声をもらえたのは、うれしかったですね。浦和が苦しい時期(残留争い)も経験しましたし、そこからまたタイトルを獲れるチームになっていく過程で少しでも貢献できたことは、自分でも誇れる部分だと思います」

すべてを狂わせてしまった

浦和にすべてを捧げ、浦和で引退したい----。

そう考えていた選手にとって、あまりにも悲しい別れとなった。

たったひとつの過ちが、すべてを狂わせてしまう。決して柏木の行動を正当化しようとは思わない。コロナ禍で起きた現実である。しかし、これはコロナ禍における悲劇であり、私たちの人生にも通じるひとつの教訓ではなかったか。

柏木陽介は、決して罪を犯したわけではない。ルールを守れなかっただけにすぎない。もちろん、ルールを守れなかったことは非難されるべきことだ。社会的影響の大きいプロのアスリートであればなおさらだろう。

しかし、犯した過ちを反省し、やり直しの利く世の中であるべきだ。その意味で、柏木は助けられた。FC岐阜が救いの手を差し伸べてくれたことで、サッカー選手のキャリアをやり直すことができたからだ。

「すぐに声をかけてくれたのが、岐阜の小松(裕志)社長でした(当時はGM)。J3でよければ、来てほしいと。僕のなかではJ1でやりたい気持ちもあったし、興味を持ってくれるクラブがあったのも確かです。

ただ、コンプライアンス的な問題だったり、金銭的な問題もあって、オファーにまでは至らなかったんですね。でも、岐阜はすべてをひっくるめて、来てくれと声をかけてくれました。そんなに求めてもらったことが何よりうれしかったですし、だから割と早い段階で岐阜に行くことを決めていました」

J1から一気にJ3へ----。レベルはもちろん、クラブの規模も違えば、環境も大きく異なる。それでも柏木は、プライドを捨てて、情を取り、覚悟を持って岐阜へと向かった。

「苦しい戦いになると思っていました。でも、その環境に身を置くことが、今の自分には必要なんじゃないかって。実際に行ってみて本当にしんどくて大変でしたけど、自分に足りない部分を補えたと思うし、まだまだ成長させてもらえるとも感じています。だから、小松社長はもちろん、受け入れてくれたチーム、サポーター、岐阜の街も含めて、感謝の気持ちしかないですね」

拠点とする練習場はあるが、別会場で練習することもあり、洗濯も自分でしなければいけない。バス移動の遠征も、30歳を超える柏木には楽なものではなかった。

「それも含めていいのかなと思ったし、楽しんでやっていこうって。今まで何もかもが満たされていたなかで、そういうことを経験することが、今の僕には必要なこと。本当に難しい環境と言われるなかで、どれだけできるかというのも見せてやろうと思っていました」

イライラすることもあった

しかし、その想いは打ち砕かれることになる。長くJ1で実績を積んできた柏木であっても、J3の戦いは苦労の連続だった。あらためて感じたのは、「サッカーはひとりではできない」ということだ。

「そこは昔から思っていたことですけど、やっぱり周りがいてこそ、自分も輝けるんです。これまでみんなにうまい、うまいと言われていたけど、『結局、俺ってこんなもんやな』って思うことが去年は多かったですね。

個人の力でなんとかできるタイプではないですから。周りを使いながら自分も生きるタイプなので、それができない以上は、持ち味を出すのは難しかったです」

フィジカルが重視されるJ3では、ロングボールを主体とするサッカーが多かった。岐阜も安間貴義監督の下で、ボールを大事にするサッカーを目指しながら、結果を求めるためにはロングボールを併用するゲームも少なくはなかったという。

「ボールが頭上を越えることが多かったので、しんどかったですし、イライラすることもありました。でも、そこを態度に出しても意味がない。それよりも、どうしたらチームがよくなるかということを日々考えながら、過ごしていましたね。

たとえ自分がうまくいかなくても、ハードワークする姿を見せることで、みんなに響くんじゃないかって。浦和時代にベテランの選手がやっていたようなことを、岐阜に来て、多少できるようになってきたんです。だから、自分で言うのもなんですけど、めっちゃ成長したと思いますよ(笑)」

しかし、柏木のアプローチもむなしく、昨季の岐阜は6位に終わり、J2復帰の目標は叶わなかった。もっとも、柏木は自身のチームに厳しい目を向けていた。

「こういう言い方が合っているかわからないですけど、去年の岐阜は昇格に値するチームではなかったかなと思っています。もちろん、昇格させたいと思ってプレーしていましたけど、それ以上にどうやってこのチームを、まとまりのあるいい集団にできるのかと考えていました。そこができなかったのは僕の力不足ですけど、それがないまま昇格しても、またすぐに降格するだけですから」

35歳になった調子乗り世代

まとまりを出すためにどうすればいいのか。そう考えながら過ごしたなかで、柏木がここでも感じたのは「ひとりではどうしようもできなかった」という想いだ。

しかし、今年はチームを変えられるという希望が生まれている。浦和時代のチームメイトである宇賀神友弥と、海外でのプレー経験もある同年代の田中順也が加入。ほかにも菊池大介や石津大介といった経験豊富な選手が加わったことは、柏木の負担を軽減することになりそうだ。

「今年は順也とか、ウガが来てくれたので、プレー面もそうですけど、そういう部分にも力を貸してくれると思っています。周りからしたらおじさんばかりと思うかもしれないですけど、J3を勝ち抜くにはベテランと若手の融合が一番必要かなと思っているので、彼らの存在は大きいですよ。

技術的にも考え方にしても、人間的にもすばらしい選手たちなので、チームにとっても自分にとってもプラスになることしかない。このメンバーが揃ったなかで、どういうふうにチームとしてまとまっていけるか。そこが一番大事かなと感じています」

1987年生まれの柏木は、今年で35歳となる。"調子乗り世代"も、すっかりベテランの仲間入りである。

「もちろん疲れは取れにくくなっていますし、毎年オフ明けの練習はかなり厳しいですよ。だから、(小野)伸二さんとか、ヤットさん(遠藤保仁)とか、イナさん(稲本潤一)も、本当にすごいと思いますし、自分はそんな長くできないなとも思っています」

それでも、引退を考えるのは、まだ先の話だ。

「やれる間はやりたいし、今1歳の子どもが(自分を)サッカー選手として認識してくれるまではやりたいなとは思っています。フィジカル系のトレーニングは30歳を超えてから始めたので、最近身体をどう使うのがやっとわかってきたんですよ。フィジカル的なものは確実に上がっているので、身体の状態に関しては、今が一番いいと思っています」

背番号42に込められた意味

子どもが生まれたことで、早寝早起きの生活にもなった。食に対する意識を高め、身体のケアやオフの過ごし方にも気を遣っているという。

「完全に身体を休ませることはしなくなりました。休ませすぎると、逆に動かなくなっちゃうので。身体のケアに関しても、浦和時代にお世話になったトレーナーさんが今年ふたりも来てくれたので、心強いですね」

岐阜で1年を過ごし、"岐阜愛"は日増しに高まっているという。

「いいところがいっぱいですよ。山と川しかないですけど(笑)。あと温泉も。ご飯もおいしいですし、人も優しい。公園もたくさんあるので、子育ての環境としては最高ですね。奥さんも、ずっと岐阜にいたいと言っていますしね」

柏木が岐阜で背負う「42」という番号にも意味がある。

「県内の42市町村がサポートしてくれているクラブなので、この番号にしました。もっと地域に根づいたクラブにしていきたいんですよね。今はコロナ禍なので、できないこともありますけど、学校訪問だったり、サッカー教室だったり、それぞれの町に出向いていくことをもっとやりたいなって。

今もSNSを通じて、42市町村の魅力を伝えていくこともやっています。その魅力を伝えながら、岐阜県全体が心から応援したいと思えるようなクラブにしていきたい。もちろんサッカー選手としては、J2、J1に行けるようなチームにすることが目標ですね」

人は誰もがミスを犯す。そして、人生は何度でもやり直すことができる。決して華やかな舞台でなくてもいい。過ちを糧に、柏木陽介は今年もサッカー選手であり続けている。

激白してるぞ

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2022/03/11/j1j3/
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2022/03/11/post_56/

471: 2022/03/11(金) 12:09:25.87
>>450
柏木は沖縄キャンプ前にもやらかしてたから2980より厳しい処分になったんじゃなかったっけ?

 

484: 2022/03/11(金) 12:24:35.20

>>450
モノはいいようだな、外出禁止キャンプ抜け出して秘密のキャバクラ貸し切り宴会が美談になってる

いやあ聖人の柏木さんが誤解されて可哀想

> 懇意にしてる飲食店を訪れた
> お世話になっている店がコロナ禍に苦しんでいると聞いていました
>すごく困っているとのことなので顔を出してあげることにしました

 

782: 2022/03/11(金) 17:52:22.36
>>450
正直に語ってて面白い

 

789: 2022/03/11(金) 18:00:17.84
>>450
ただただ考えが甘いだけだったの草
インタビュアも笑うだろこれ

 

793: 2022/03/11(金) 18:01:22.31
>>450
こんなんがお前良いサッカー選手になれんのかよって子供にブチ切れてたの笑うわ

 

799: 2022/03/11(金) 18:08:22.96
>>450
自業自得すぎて可哀想と思える部分がないw

 

812: 2022/03/11(金) 18:28:44.88
>>450
正直ルール破りは口実で戦力的にクビ切られたよな
なにもやらかしてなかったとしても槙野といっしょに退団だったろ

 

822: 2022/03/11(金) 18:33:50.21
>>450
五輪もW杯も選ばれてないのに挫折を知らないキャリアなんだな

 

802: 2022/03/11(金) 18:12:20.32
柏木は金満岐阜だし、今のままやって引退かな

 

引用元: ・移籍・レンタル・戦力外「ら」スレ Part14542


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