1993年の開幕から28年目を迎えたJリーグでは、数多くの外国籍選手がプレーしてきた。活躍した選手もいる中で、期待を大きく裏切って帰っていった選手も少なくない。今回フットボールチャンネル編集部では、横浜F・マリノスで活躍できなかった外国籍選手を5人紹介する。※年齢は加入当時のもの
現ディナモ・ザグレブ監督
イゴール・ヨビチェビッチ(クロアチア出身)
生年月日:1973年11月30日(当時25歳)
在籍期間:1999年
J1通算成績:1試合出場/0得点
世界的名門レアル・マドリードのBチームでもプレー経験を持つFWは、1999年に来日して練習生から横浜F・マリノスと正式契約を結んだ。しかし、将来を嘱望された過去の経歴による期待には応えられず、リーグ戦出場は1試合のみだった。
その唯一の出場機会は1999年の2ndステージ第14節・清水エスパルス戦の終盤85分からだった。1-2でリードを許していた展開で同点ゴールが期待されながらノーインパクト。そしてホーム最終戦で優勝争いをしていた首位・清水に振り切られ、目の前で2ndステージ優勝を決められてしまった。
もちろんマリノス は1999年で限りで退団となり、ブラジルのグアラニへ移籍する。そこからクロアチア時代の古巣NKザグレブ、フランスのメス、中国の瀋陽東進や上海連城(のちに上海申花に合併)、ウクライナのカルパティといったクラブを渡り歩き、選手としては不思議なキャリアを送った。
それでも現役引退後は指導者としてステップアップしていき、今年4月からは数々の実力者を輩出してきたクロアチア屈指の名門ディナモ・ザグレブの監督を任されている。
●1999年J1・2ndステージ第14節:清水エスパルス戦の先発メンバー
▽GK
川口能活
▽DF
波戸康広
上野良治
小村徳男
▽MF
深澤仁博
遠藤彰弘
神田勝夫
永井秀樹
三浦淳宏
▽FW
ユ・サンチョル
城彰二
※ヨビチェビッチは85分から永井秀樹に代わって途中出場
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200514-00010003-footballc-socc
>>2以降に続く
>>1
たった4日間で…
アブデルジャリル・ハッダ(元モロッコ代表)
生年月日:1972年3月21日(当時27歳)
在籍期間:2000年
J1通算成績:0試合出場/0得点
モロッコ代表の9番を背負い、1998年フランスワールドカップで2得点を挙げた実績を持つFWだったが、マリノスでは公式戦に一度も出場することなく終わった。それどころか加入から契約解除までたった4日間という前代未聞のスピード退団だったのである。
キャンプに合流したハッダは、オズワルド・アルディレス監督から早々に構想外を告げられ、イスラム教とゆえに日本の食事も合わなかったことも解雇につながった。横浜にたどり着くことなくクラブを去ることとなったのだ。
マリノス 退団後はレンタル元のスポルティング・ヒホンに戻り、チュニジアやモロッコのクラブでプレーしたのち2004年夏に現役を引退した。なお、世界中の選手情報を網羅するウェブサイト『transfermarkt』には、マリノス在籍歴が掲載されていない。あまりに短すぎた在籍4日間はなかったことになっているようだ。
●2000シーズンの基本先発メンバー
▽GK
川口能活
▽DF
波戸康広
松田直樹
小村徳男
▽MF
永山邦夫
上野良治
遠藤彰弘
三浦淳宏
中村俊輔
▽FW
エジミウソン
ユ・サンチョル
横浜F・マリノス、歴代ガッカリ外国籍選手6人。SNS中毒で追放、4日で解雇…謎多き助っ人たちの系譜
2001年J1・1stステージ第8節:柏レイソル戦の先発メンバー
レコバの元相棒と香港リーグ得点王
マルセロ・リパティン(ウルグアイ出身)
生年月日:1977年1月28日(当時24歳)
在籍期間:2001年
J1通算成績:1試合出場/0得点
ウルグアイの世代別代表でアルバロ・レコバとコンビを組んでいたという触れ込みで来日したが、その片鱗を見せることはなかった。結局、1年間の在籍でリーグ戦の出場は1試合のみ。しかも途中出場で延長Vゴールを奪われるまでの18分間のみだった。
前年に4日間の在籍で解雇になったハッダとは違い、横浜までたどり着いたが、ホームの日産スタジアムのピッチに立つことは叶わず。離日後はメキシコのクラブ・アメリカへ移籍し、のちにセリエBのバーリやポルトガル1部のマリティモ、CDナシオナル、トロフェンセといったクラブでプレーした。日本で輝けなかったにもかかわらず欧州ではそれなりに結果を残している、謎多い選手だった。
レアンドロ(ブラジル出身)
生年月日:1974年9月29日(当時26歳)
在籍期間:2001年
J1通算成績:3試合出場/0得点
1999/2000シーズンの香港リーグ得点王という肩書きを持つストライカーで、2000年に開催されたカールスバーグカップの日本代表戦に、香港リーグ選抜の一員として出場していた。日本の中継映像で紹介された登録名はファーストネームの「レアンドロ」ではなく姓の「シミオニ」だった。
そこでのプレーが評価されたのか、2001年に来日してマリノスに加入する。しかし、ヘディングの強さ以外に目立った武器はなく、リーグ戦では3試合の出場のみ。ノーゴールで同年7月に契約解除となった。2001年のマリノスはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)こそ制したものの、開幕前の外国籍選手の補強にことごとく失敗し、シーズン中の監督交代やリーグ戦の残留争いなど大いに苦しんだ。
レアンドロはマリノス退団後、一度ブラジルに戻ったが、2003年夏から2シーズンにわたってドイツ2部のオーバーハウゼンで活躍。ブラジルやイスラエルでのプレーを経て現役を引退した。
●2001年J1・1stステージ第8節:柏レイソル戦の先発メンバー
▽GK
川口能活
▽DF
波戸康広
松田直樹
小村徳男
▽MF
永山邦夫
遠藤彰弘
上野良治
石川直宏
中村俊輔
▽FW
田原豊
城彰二
※レアンドロは74分から田原豊に代わって途中出場
※リパティンはベンチ外
>>3以降に続く
>>1
>>2
アルゼンチン路線への回帰は…
パブロ・バスティアニーニ(アルゼンチン出身)
生年月日:1982年11月9日(当時27歳)
在籍期間:2010年~2011年
J1通算成績:6試合出場/0得点
かつてのマリノスのようなアルゼンチン路線の復活となるかに思われたが、バスティアニーニの補強は明らかな失敗だった。イングランド3部やギリシャ、ベネズエラでのプレー経験を持つ変わり種ストライカーは練習試合でも全く通用しない有様で、リーグ戦は6試合の途中出場のみだった。
網膜剥離で戦線離脱を強いられた時期もあったが、身長187cm体重80kgという大柄な体格がピッチ上で活かされることはなく、もちろん6試合で1つのゴールも奪えなかった。
それでも2011年もマリノスに残留する。だが、同年3月11日に発生した東日本大震災を受けて「生まれたばかりの子どもがいるため、震災後に帰国した家族の強い要望もあり、帰国して家族のもとで新たな道を歩み続けることを決断しました」というコメントを残して4月15日付で契約解除に。アルゼンチンへ帰国した。
●2010年J1第5節:清水エスパルス戦の先発メンバー
▽GK
飯倉大樹
▽DF
波戸康広
中澤佑二
栗原勇蔵
田中裕介
▽MF
兵藤慎剛
小椋祥平
清水範久
中村俊輔
山瀬功治
▽FW
渡邉千真
※バスティアニーニは後半開始から栗原勇蔵に代わって途中出場
お騒がせSNS芸人
カイケ(ブラジル出身)
生年月日:1988年4月1日(当時27歳)
在籍期間:2016年
J1通算成績:23試合出場/4得点
フラメンゴの下部組織で将来を嘱望されたストライカーは欧州挑戦こそ失敗したものの、ブラジルの下部リーグで揉まれて成長を遂げ、徐々に国内でも名の知られた存在になっていた。2015年にフラメンゴに復帰すると当時チームを率いていたオズワルド・オリヴェイラ監督にも重用された。
しかし、2016年に加入したマリノスでは期待を裏切り続けた。背番号9を与えられたが、試合に出場してもゴールを決められず、度重なる規律違反で同年9月末にはチーム練習への参加を禁止されるまでに。練習への遅刻や、ベンチ外になった公式戦の試合中にSNSに全く関係のない投稿をするなど、完全にネタ外国人となっていた。
もはや“SNS芸人”と化していた中、信頼を失う決定打となったのが2016年9月25日の川崎フロンターレ戦だった。その試合でベンチ外になっていたカイケは、チームメイトたちが2-3の激闘を演じている最中に自身のインスタグラムへ「Enjoy life in GINZA」と酒瓶の絵文字などとともに妻とのツーショットを投稿したのだった。
マリノスで構想外になったものの、長期契約は残されており、2017年以降は母国ブラジルのクラブへ期限付き移籍を繰り返す。2017年はサントスへ、2018年はバイーアとフルミネンセに在籍。それらのクラブではことごとく結果を残せていなかったが、2019年3月にようやくマリノスとの契約が解除になり、次の移籍先となったゴイアスで復活を遂げ、同年9月からはカタールでプレーしている。
カイケ唯一のファインプレーは、2018年にフルミネンセで同僚だったマルコス・ジュニオールが移籍先にマリノスを選ぶ際の助言者の1人になったことだ。
●2016年J1・1stステージ第7節:ジュビロ磐田戦の先発メンバー
▽GK
飯倉大樹
▽DF
小林祐三
中澤佑二
ファビオ
下平匠
▽MF
喜田拓也
中町公祐
クエンティン・マルティノス
中村俊輔
齋藤学
▽FW
カイケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200514-00010003-footballc-socc&p=2
ドゥトラ
ディアス
ビスコンティ
チアゴ・マルチンス
ラモンディアス
ドゥトラかなぁ
>>5
ディアス
ビスコンティ
ドゥトゥラ
ユサンチョル
この4人から1人に絞れない。
チアゴ
ドゥトラ一択
1人で左サイド制圧してた
カフー
他のところはブラジル中心だったから目立ってた
チームのカラーの違いはよくわからんかったけど
何故ストイコビッチだったのか
ビスコンティ 48試合27得点 マリノス優勝
ストイコビッチ 40試合15得点 名古屋4位
これに文句付けてる奴初めて見たわ
当時のストイコビッチは別格も別格だから
マジレスするとこういうのは
投票する人がイメージで投票しちゃうから
98年のベストイレブンに城彰二が入らなかったのもこれ
助言っていっても「俺は馴染めなかったけどお前には合うんじゃね?」くらいの軽い感じだったのかも
それなりにJは見てるのに
なんでだろう。
リーグ34戦16ゴールだぜ
スレは駄目外人だけど
引用元: ・【サッカー】横浜F・マリノス、歴代ガッカリ外国籍選手6人。SNS中毒で追放、4日で解雇…謎多き助っ人たちの系譜 [久太郎★]