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あのブラジル人Jリーガーはいま エジムンド(後編)

記事の内容

野獣エジムンドが日本を去った真相。 「今でも打ちのめされた気に...」

前編はコチラ>>あのブラジル人Jリーガーはいま エジムンド(前編)

 ピッチ内外で波風を立て続けてきた「オ・アニマウ」(野獣)、エジムンド。クルゼイロとの契約を解消されると、移籍先が見つかるまで、リオデジャネイロ郊外で自主トレーニングをするしかなかった。エジムンドが首を縦にふったのは、東京ヴェルティからのオファーだった。

 ここまでのエジムンドの行動パターンを見てみると、1)プレーでチームやサポーターの心をつかむ、2)問題行動と、監督や同僚との不仲で移籍、の繰り返しだった。

 それを考えると、日本での彼はかなりよくやったのではないかと思う。

ヴェルディを降格危機から救う

 東京ヴェルディが彼を日本に連れてきたことは間違いではなかった。結果を出し、自分のすべきことを果たした。ヴェルディでのエジムンドは、最盛期を取り戻したかのようだった。

 2001年10月、まずはデビュー戦で名刺代わりのゴールを決めると、降格寸前だったチームを救い、J1に残留させた。翌2002年には26試合で16ゴールを決め、パルメイラスから再びオファーが届いたぐらいだ。彼はヴェルディでは絶対的なスターであり、すべてのボールは彼に集まり、王様でいられた。

 その後、浦和レッズが当時のJリーガー最高額のオファーをし、エジムンドは日本サッカー界に君臨するようにみえた。しかし、それから3カ月もしないうちに、彼はサウダージを感じたことにして、日本を後にした。当時の監督ハンス・オフトなどとの意見の食い違いだったと思われる。

 多くの日本人は、彼の帰国を残念に思っただろう。エジムンドが日本でプレーした最も優秀なブラジル人選手のひとりだったのは疑いようもない。

 だが、日本でも変わらないところはあった。ラフなプレーは変わらずで、日本でプレーした1年半の間に24回の一発退場を経験している。たぶんJリーグの歴代でもトップクラスのレッドカードの多さだろう。

 また2002年の頭には、彼はケガをしたという理由でキャンプに参加せず、治療のためにブラジルに戻っている。リオに松葉杖をついて戻っていったエジムンドだったが、彼が戻った時期はちょうどリオ最大のお祭り、カーニバルの時期だった。ブラジルのテレビの中継は、踊りはしないものの、音楽にのりパレードに参加するエジムンドの姿を映し出した。

 ヴェルディの幹部が思わず漏らした発言は翌日のブラジルの新聞の見出しに躍った。「エジムンドはいったい何をしているんだ?」。

 サッカーを離れた武勇伝も事欠かない。息子の誕生日のために借りてきたサーカスの猿に酒を飲ませて、動物愛護団体から訴えられた。リオのビーチで不法賭博をして逮捕されたこともある。

 ブラジルでのエジムンドの評価はこの言葉に要約される。

「確かにエジムンドには才能がある。しかし、もしもう少し頭を使えば、ブラジルを代表してW杯で3度プレーもできただろう......」

ロナウドとの亀裂

 エジムンドはブラジル代表として、1998年のフランス大会でしかプレーしていない。それもロナウドの控えだった。そしてそこにもいい思い出はない。

 今から数年前、私はエジムンドにインタビューをする機会を得たが、その中のこんな台詞が私の興味を引いた。1997年にロナウドを抑えブラジル最優秀選手になったことについて尋ねると、彼はこう答えたのだった。

「この年だけじゃない。俺は現役時代を通して、常にロナウドよりも上だった」

 彼は続ける。

「俺はいつもヤツよりいいプレーをしていた。決めてきたゴール数も俺はロナウドの倍近いし、ブラジルチャンピオンにも何度もなっている。ブラジルで得点王になることはとても難しい。ロナウドはブラジルでもプレーしたが、失敗した。彼と俺の唯一の違いは代表での成果だ。確かに名ゴールも決めてはいるが、ヤツのサッカーは......。ロマーリオが俺よりいいプレーをしたのは認める。ジーコ、リベリーノ、俺より優秀な選手はたくさんいる。だが、ロナウドだけは違う」

 エジムンドがここまでロナウドを否定する理由は、1998年のフランスW杯にある。決勝の前夜にロナウドは意識を失った。床に倒れたロナウドに最初に駆け寄ったのはエジムンドだった。倒れたロナウドは痙攣していたという。

 翌日、マリオ・ザガロ監督がロナウドの代わりにスタメンに選んだのもエジムンドだった。決勝を戦うストライカーとして、彼の名は正式に告知された。しかしロナウドはキックオフ45分前にスタジアムにやって来て、プレーさせてくれと頼み込んだ。ブラジルはFIFAに無理を通してメンバーを代え、エジムンドはキックオフ数分前にスタメンを降ろされた。

この時の彼の尋常でない怒りの様子を、私は目の当たりにしている。決勝直前のブラジルはこのように混乱し、崩壊し、怒りに満ちていた。その結果がフランスの3-0の勝利だ。

エジムンドの家族と生い立ち

 日本から戻った頃から、エジムンドの言動もようやく落ち着いてきた。プレーにかつての激しさは見られなくなり、より冷静にプレーするようになった。ヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、パルメイラスなどで活躍し、最後は最愛のヴァスコ・ダ・ガマで、40歳で引退した。

 キャリア後半は「よりチームに愛着を持って、精神的に集中してプレーするようになった」と、後にエジムンドは語っている。

 こんな破天荒なエジムンドだが、家族は非常に大事にしていた。

 エジムンドの生い立ちは厳しいものだった。彼の父は理容師で、母は掃除や住み込みの家政婦をして生計を立てていた。彼が生まれ家は床がなく、土がむき出しだったという。

「ただ幸いにも、叔母のひとりが銀行で働いていた。彼女には子供がなく、うちの両親はいつも外で仕事をしていたので、俺は叔母の家で育った」

 この叔母の恋人が彼をヴァスコ・ダ・ガマのテストに連れて行った。チームで才能を認められるようになると、エジムンドは幼いながらも「自分がこれから家族を支えていく」という大きな責任を感じ始めたという。

 だが、浦和レッズでプレーしている間に、彼の家族に悲劇が起こった。弟が弾丸で穴だらけになった車のトランクで、遺体で見つかったのだ。

「今でもそのことを考えると、打ちのめされた気になる。弟を失ってから数年後には父も母も相次いで亡くなってしまった。足元が崩れていくような感覚だった。俺の名声、金、持てるすべてのものと取り替えていいから、弟を返してほしいと願った」

 弟は麻薬中毒で、その取引で何らかのトラブルに巻き込まれたと言われている。

「弟が死んだ時、俺は日本にいた。時差のため俺が知ったのは数時間後だった。すぐにブラジルに帰りたかったが、弟の遺体は警察に渡されていて、俺にできることはないとわかった。俺は歯を食いしばって最後の数試合をプレーし、ブラジルに帰った」

現在エジムンドは49歳。もう11年も、『FOXスポーツ』のコメンテーターを務めている。歯に衣着せぬ率直な解説は、ブラジルでも人気がある。さまざまな経験を通して、今は選手時代よりもずっと落ち着き、やっと自分の居場所を得たようにも見えるのだ。

エジムンド本名エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト。1971年4月2日生まれ。1992年、ヴァスコ・ダ・ガマでプロデビュー。その後、パルメイラス、フラメンゴ、フィオレンティーナ(イタリア)などでプレー。2001年、東京ヴェルディに移籍。2003年には浦和レッズに移籍したが、リーグ戦出場0で帰国した。その後もヴァスコ・ダ・ガマやパルメイラスで活躍、2008年に現役を引退。ブラジル代表としては1998年フランスW杯に出場している。

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引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a93cbdbc9823c790c221a07e69f1dceb39f1c44d

 

1:名無しさん@さかまと!

>日本でプレーした1年半の間に24回の一発退場を経験している。
これは嘘でしょ?
Jリーグ歴代最多のピクシーが13枚。
カップ戦も含めたとしても出場停止もあるから1年半でそれはあり得ないでしょう。

 

2:名無しさん@さかまと!

一年半で一発レッド24回て、出場停止も考えたら出場した全試合でレッドカードもらってるぐらいの計算になるぞ
いくらなんでもアニマルすぎるやろ笑

 

3:名無しさん@さかまと!

やっぱり誤りなんですね。
1発退場なら次節も欠場のはずで、24回受けるのがそもそも不可能じゃないかと思ったので…

 

4:名無しさん@さかまと!

イエローカードと間違えたんですかね(笑)?

 

5:名無しさん@さかまと!

1年間で24回の一発退場って・・・デタラメを書くな。
出場停止も含めりゃ その数字は先ず不可能。
それに、ヴェルディ時代のエジムジドはかなり紳士的で野獣でなかったと思うけどね。

 

6:名無しさん@さかまと!

エジムンドで忘れられないのは2001年最終節のFC東京戦
負けたら降格の状況もあって、小見監督は選手たちに福岡の試合経過を教えていなかったが、エジムンドは「俺にだけは福岡(他会場)の状況を教えてくれ。残留のため必要な最大のミッションを遂行するから。」と言って、本当にその通りの仕事しちゃったからなぁ(永井秀樹へのアシストが決勝点で残留)あれは痺れた

 

7:名無しさん@さかまと!

何度かスタンドからプレーを見たけど、まーうまかった。かといって技巧に走るわけではなく骨太で効果的なプレーばかりで、エジムンドがいなかったらヴェルディのJ2生活はもうちょっと早く始まってたのは確かだったろうなあ。

 

8:名無しさん@さかまと!

>日本でプレーした1年半の間に24回の一発退場を経験している
適当なこと書くなよ…。
少なくともヴェルディにいた時だけは超優等生だったし紳士だった。怪我の治療で国に帰ってカーニバルで踊ってるなんて前にもあったろ。ヴェルディサポーターから見れば「お約束」としか思わなかったよ。祭りの時は仕事サボって神輿担いでる両津と変わらないだろ。
ピッチ内でも相手のラフプレーに熱くなった桜井の肩に手をかけ「まあまあ」となだめてたし。ヴェルディサポーターからすれば天から降臨したネ申だった。
浦和に移籍したら本性表したけど。

 

9:名無しさん@さかまと!

ヴェルディで経歴通りに活躍して、浦和に来てくれた。
期待してたのにすぐに出て行ってしまい、残念だったけど、そのおかげで2年目の長谷部が出場機会を多く得ることになった。そこは結果オーライかな。

 

10:名無しさん@さかまと!

真正面からゆっくりしたドリブルでも抜き去ってしまう。相手よりも我慢強く相手が足を出してくるのを待っている。その間も多彩なフェイントとボールタッチ・ステップで相手の冷静さを破壊し、焦りと混乱に陥れる。凌力を利用した足の最大横幅のダブルタッチも特筆だった。また野獣と呼ばれるように動物並みの反射神経を有していた。時間をかければ抜けることに自信を持っていたために焦ることがなく時間を支配していた。時間を支配していたから時間差フェイントみたいだった。地味だけど唯一無二の選手だった。

 

11:名無しさん@さかまと!

ロナウドに負けないかどうかは私ごときにはわかりませんが、ポテンシャルはたまたまその時期調子が良いから代表に選ばれた、という程度ではなく、
時には敵が3人いても抜いてしまうドリブル突破力や強烈なシュート力、イマジネーションなどの能力は歴代のブラジル人選手の中でも、相当上のレベルにあるのではないかと思いますね。
それ以上にリベルタードーレス杯の時、アルゼンチンのベレスの選手とエキサイトして、
ビンタの応酬をした衝撃映像は、サッカーの歴史に間違いなく残るでしょうね(笑)

 

12:名無しさん@さかまと!

2002年にジュビロ磐田が、
あと勝ち点2を取れば、
前後期完全優勝という状況での、
東京ヴェルディとの試合を観に行きました。
結果、1対0で、ホームのジュビロ磐田が勝ち、優勝を決めましたが、
エジムンドを中心としたヴェルディに、
最強のジュビロが、
かなり苦しめられていました。
エジムンドは危険な(良い)選手だと、
思いました。

 

13:名無しさん@さかまと!

ヴァスコでのロマーリオと組んだ2トップ、とにかくスゴいプレー連発だった。堅実なサーカスというか、派手なんだけど理に適ってるんだよな。

 

14:名無しさん@さかまと!

エジムンドがヴェルディは大興奮だったなぁ。
あの時、エジムンドの加入でヴェルディが息を吹き替えしたもんね。
エジムンドには王様の役割が似合うよ。

 

15:名無しさん@さかまと!

セリエで首位を走るフィオレンティーナ時代に当地でエジムンドを観ることができたんだけど、まあ遠目に見ても怖さすら感じるオーラだったよ。左ベルギー代表オリベイラ、真ん中バティ、右エジムンド。まあ凄まじかった。。

 

16:名無しさん@さかまと!

東京Vの練習場で会ったエジムンドはかなり紳士的で野獣のイメージはなかった…

 

17:名無しさん@さかまと!

テクニックは本当に凄かったな、小野や松井と同じように天才タイプだったよ

 

18:名無しさん@さかまと!

ワールドサッカー・グラフィックの見開きに
「エジムンド=ダイアモンド」と書いてあったのが忘れられない
当時はセリエA、フィオレンティーナ。

 

19:名無しさん@さかまと!

エジがレッズを一瞬で去った理由は、「1.オフト氏との確執」「2.弟さん急逝のため」、けっきょくどっちだ

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