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15歳でU-17欧州選手権の得点王に輝く
ボージャン・クルキッチ(FW/元スペイン代表)
■生年月日/1990年8月28日
■身長・体重/170cm・65kg
2006年のU-17欧州選手権で鮮烈な印象を残したのが、ボージャン・クルキッチだった。
飛び級で出場したスペインの15歳は、年上の選手たちを手玉に取り、いとも簡単にネットを揺らす。準決勝までの全4試合、すべてベンチからの途中出場にもかかわらず5ゴールを挙げ、大会得点王に輝いた。
ボールタッチは繊細で、ドリブルは鋭く、その姿はまるで、同じくバルセロナのラ・マシア(バルサの下部組織の総称)で育った偉大な先達、リオネル・メッシのようだった。
翌2007年も同大会に出場すると、今度はエースとしてスペインを優勝に導いた。イングランドとの決勝では、戴冠を決める唯一のゴールを奪ってみせた。この5か月後にはU-17ワールドカップでも大活躍。PK戦での決着となった決勝はナイジェリアに敗れて涙を呑むも、5ゴールで準優勝に貢献した。
この余勢を駆って一気のブレイクを果たすのが2007-2008シーズン。バルサのトップチームにデビューすると、ラ・リーガでいきなり二桁の10ゴールをマークする。新たなスターの誕生に世界が色めき立った。
しかし、すべてがあまりに速く進みすぎたのかもしれない。本人の心がついて行かなかった。世間の注目がプレッシャーとなって押し寄せ、不安が募っていく。やがてパニック発作に襲われるようになり、専門医による診療を受けなければならなかった。
当時の苦しみを、後にこう振り返っている。英紙『ガーディアン』に語った言葉だ。
「常に何かに追い立てられている気がして、24時間ずっと心が落ち着かなかった。めまいがしたり、吐き気がしたり。何をしてても、どこにいてもプレッシャーを感じて、それを消すことができない。頭がクラクラして、押し潰されそうになって、パニックに陥ってしまう」
投薬治療でどうにか折り合いをつけながらピッチに立ち続けていたが、世間にはこの事実を伏せていたことで、さらにみずからを追い込んでしまうことになる。
メディアやファンの不興を買ったのは、彼らの期待を裏切る形でEURO2008の登録メンバー入りを辞退したからだった。
「ボージャンがNOを突きつける」
新聞には刺激的な見出しが躍った。たまらずインタビューの場を設け、自分の口から招集辞退の釈明を試みた。しかし、ここでも本当の理由は明かさず、単なる疲労で片付けようとしたために共感を得られず、さらなる批判を招いてしまった。
結局、EURO後の2008年9月にスペインのA代表デビューを果たすのだが、南アフリカ・ワールドカップ予選のそのアルメニア戦が最初で最後の代表歴となっている。
バルサを離れてもキャリアを再構築できず
時を同じくしてバルサでも運命の歯車が狂い出す。フランク・ライカールトからジョゼップ・グアルディオラへの監督交代が決定的な出来事で、徐々に出番が減り、気がつけばベンチが定位置になっていた。バルサ退団を決意したのは2011年。辛い別れだったと言う。
「ここに自分の居場所はないって、そう思うことが多くなっていった。信頼されていないんだなって感じたし、それは悲しかったよ。グアルディオラは僕に対してフェアじゃなかった。だからもう出て行くしかなかった」
ローマ移籍を前にスペインのメディアにそう打ち明けた。
愛するバルサを離れてもキャリアを再構築することはできなかった。ローマ、レンタルでミラン、レンタルでアヤックス(2013年夏にバルサ復帰も素通りする形でアヤックスへ)と1年ごとにチームが変わり、再起を期したイングランドのストークでもマインツにアラベスとレンタル移籍を繰り返し、最後はストークで2部を戦った。
2019年からMLSのモントリオール・インパクトでプレーし、2020年シーズン終了後に退団して現在は所属先が見つからないフリーの身だ。30歳のボージャンに、最後の一花を咲かせるチャンスは巡ってくるだろうか。
1:名無しさん@さかまと!
確かメッシがつくったカンテラの得点記録をボージャンが塗り替えていったんだよね
ファティはメンタル面のケアはできてるのかな
過度なプレッシャーからはクラブが守ってあげてほしい
2:名無しさん@さかまと!
いま、アンスファティがかつてのボージャンと同じように神童と崇められてプレーしているが、ボージャンの件があったから安泰だとは思えない。
ボージャンだって、PA内では素晴らしい動きをしていたし、あの当時では最高の若手人材だった。
しかし、ロナウジーニョを擁していた時代から3冠を達成したグァルディオラ監督とメッシの時代に入る狭間の中で、本人にとっても難しい時間だったと思うし、クラブも大切にする対象をメッシに限定した時期でもあると思う。
退団後のローマではプレーの幅も増えたが、翌年あっという間にローンで放出されて、たどり着いたストーク・シティ。出たり出なかったりが5年も続いたけど、あの線の細い小さな体でよく5年プレミアリーグでFWとしてプレーしたなと思う。
30歳にして無所属は厳しいなぁー。
Jリーグに来てくれないかなぁー。
3:名無しさん@さかまと!
レアルマドリーの下部組織でラウールの得点記録を更新したポルティージョも、トップチームには定着できずにその後いろいろなチームを転々として、最終的にスペイン3部リーグでひっそりと引退したんだよね。
若い頃に天才や神童と呼ばれた選手でも、周囲の期待通りに大成するのはほんのひと握りの厳しい世界だ。
4:名無しさん@さかまと!
メッシロナウドの影響で時代が「10代から活躍しないとダメだ」みたいな流れが加速した時期だったから期待もハードルもメチャクチャ高く設定されすぎてましたね、今思うと。
10代からトップリーグの主力なんて普通は10年に1人の逸材クラスな訳で、それを当たり前のように要求するのは普通に考えて無理がある。
日本も「10代のうちに欧州へ行かないともう遅い」みたいな風潮あるけど、ちょっと冷静になるべきだと思う。
5:名無しさん@さかまと!
大事にしてもらわなかった選手って他にもたくさんいるのだろうけど、ボージャンは好きだったからそうなってほしくなかったな。
確かメッシと遠い親戚(曽祖父が兄弟)なんだよね。顔も系統同じに思えるし。
メッシが光、その影にボージャンみたいなイメージで勝手に見てきた。
自分が楽しめる環境でプレーして欲しい。
6:名無しさん@さかまと!
確かにボージャンへの期待は大きかったなー。
あの少し前にはドスサントスもいたしメッシも含めたちびっこ3人が楽しみだった。
やっぱり人間なんだからメンタルも含めて総合的な選手が必要ですね。
ウイイレにはメンタルで能力変わったりしないもんなー
7:名無しさん@さかまと!
久保だってこの世界線も普通に考え得る。飄々としてる様に見えて内心めちゃくちゃ苦しんでるかもしれない。
8:名無しさん@さかまと!
ストークではさすがというプレーも見せていたけどいつしかベンチに
どこでもそれは同じだったんだろうな
現在のボージャンは毎度自らクラブを離れているイメージがある
9:名無しさん@さかまと!
バルサ退団時の涙の会見が印象的だった
まさか、花咲かずしてここまで来るとは誰も予想しなかっただろうね...
改めてプロの厳しさを感じる
10:名無しさん@さかまと!
この世代はボージャン、バロテッリ、デ・ヘアとか18くらいから有名な選手多かったし、めっちゃ期待してたな~。
ボージャン、バロテッリは特にワールドクラスのストライカーになると思ってたわ(実際ウイイレのマスターリーグで使いまくった)。
11:名無しさん@さかまと!
代表辞退の理由を話てたら、周りの目やその後のプレッシャーも変わってたのかも。
でも心の病気はやっぱ言えないのかな。
12:名無しさん@さかまと!
リーガで10ゴールは才能がなければできないことだと思える
能力の限界値にたどり着くのが早かったのこもしれない
13:名無しさん@さかまと!
若い時はメッシと並ぶバルセロナの逸材と言われていたよね、スポーツの世界で良く有る、逸材で終わった残念な選手なのかな?
逸材から一流になるのはやはり針の穴を通す位の確率なんだろうね、厳しい世界だよ
14:名無しさん@さかまと!
久保選手も逸材で終るのか、スタメンを勝ち取るのか?
厳しい世界だけど後者であることを応援します
15:名無しさん@さかまと!
技術はゴールデンエイジにいくらでも習得できるけどメンタルの部分は鍛えようがないからなぁ
早熟はこれがあるから厳しいね
16:名無しさん@さかまと!
浦和レッドダイヤモンズがFWを募集中です。
17:名無しさん@さかまと!
何となくボージャンの現状が久保君の未来にならないか心配! そうならない事を祈りたい!代表の右サイドの未来だし!
18:名無しさん@さかまと!
神戸に来て欲しい。