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ジーコの抜けた穴を埋めたベベット。 W杯で見せた「悪童」との友情

記事の内容

1983年、ジーコは12年間プレーしたフラメンゴから、イタリアのウディネーゼへの移籍を決めた。
最大のスターを失い、フラメンゴのサポーターは世界の終わりが来たかのように悲しんだ。
「フラメンゴに未来はない」と、メディアも信じ込んでいた。

しかし、フラメンゴ幹部は隠し玉を持っていた。彼の名前はベベット。
まだ19歳の少年だったが、ジーコの抜けた穴を埋めてくれると彼らは確信していた。

当初、サポーターは彼にブーイングを浴びせた。
ベベットは痩せっぽちで小さく、こんな若造にジーコの代わりが務まるとは思えなかったからだ。
引退したばかりのペレを引き合いに

「代表にペレの代わりがいないように、フラメンゴにジーコの代わりは存在しない」

と彼らは抗議した。  
だが、すぐにサポーターは彼にブーイングしたことなど忘れてしまった。
ベベットはジーコに比べても遜色がなかったからだ。
考えてみれば、ジーコも昔は小さく痩せていた。
そしてどちらもサポーターに夢を見させてくれた。

ベベットはいつも笑顔で温和だ。
ピッチの中でも外でもその性格は変わらない。
ベベットの本名はジョゼ・ロベルト・ガマ・デ・オリヴェイラ。
しかし子供時代、ロベルトという名前が発音できず、自分のことをベベットと呼んでいた。
それが彼のニックネームとなった。  

ベベットが成功できたのはその出自もあるかもしれない。
彼が生まれたのはブラジルで最もアフリカ色の濃いバイーア。
ベベットの両親はポルトガル系だったが、彼のハート、そして生きざまはまさにバイーアの人間そのものだ。
穏やかで、常に微笑みを忘れず、フレンドリーで、他人を助ける。バイーアの人は皆そうだ。 

ベベットはバイーアの州都サルヴァドールでサッカーを始めた。
友達とサッカーをしていた彼を地元のナンバー1チーム、エスポルテ・クラブ・バイーアが目をつけた。
しかし何度か練習に参加したものの、彼は同じ町のヴィトーリアに入団した。
ベベットの父がこのチームの大ファンだったのだ。

「16歳の時、ヴィトーリアにテストを受けに行ったが、その時の僕は身長170センチで体重は49キロしかなかった。
だから僕を見たヴィトーリアの監督は、始めは僕を参加させたがらなかった。
『こいつはあまりにも軽すぎる、強風が吹けば飛んでいき、二度と見つけられないだろう』ってね。
でも10分プレーする間に、僕は2ゴールを決めた。
監督はその午後、すぐに僕をトップチームの練習に合流させてくれた」  

当時を振り返って、ベベットはこう語る。  

ベベットが17歳になった時、ヴィトーリアは自分たちが金の卵を持っていることに気が付き、
彼をセレソン(ブラジル代表)のドクターのもとに連れて行った。
しかし、ドクターは、「彼には何の薬も必要ない」と言った。
よく練習し、よく食べれば、ちゃんと成長すると診断し、実際その通りになった。

「1年もしないうちに僕は5センチ背が伸び、体重も8キロ増えた」  

1年半後、彼の人生は一変した。名門フラメンゴが彼を望んだのだ。
冒頭にも述べたようにジーコの抜けた穴を埋めるためだった。

父親は、ベベットがサルヴァドールを去るのを快く思っていなかった。
彼は将来、ベベットに自分の不動産会社を譲ろうと考えていた。
しかしフラメンゴが本気で彼をチームのスターにしようと考えていると知った時、
事業を継がせることを断念した。息子の未来は別のところにあると悟ったからだ。  

ベベットはジーコを尊敬している。
その一方で、ディエゴ・マラドーナの大ファンでもあった。
インタビューでは、いつもこう言っていた。

「ディエゴは偉大だった。でもボールを持った彼はとてもエゴイストだった。
彼はジーコが持っていた知性の50%しか、ピッチでジーコが見せた優しさの10%しか持ち合わせていなかった」  

おそらくベベットはスターひしめくブラジル代表のなかで、
唯一、監督が実際に試合を見ることなく招集を決めた選手だろう。
1985年、カルロス・アルベルト・パレイラ監督は、
一度もプレーを見ることなく、彼をオリンピック代表に招集した。
その後、ベベットは代表を引退する1998年まで、セレソンの選から漏れることはなかった。

彼の人生を大きく変えたのはまぎれもなく1994年のアメリカW杯だろう。
ブラジルは24年間夢見てきたタイトルを手に入れ、ベベットは一躍世界的スターとなった。
彼の名を有名にしたのは大会中に決めた3つのゴールだけではない。
サッカーファンの心に残る2つのエピソードを残したからだ。  

決勝トーナメントで、ブラジルが最初に当たったのは開催国アメリカだった。
地元の声援を背にしたアメリカは予想以上に強く、
レオナルドがファウルで退場になるとブラジルは10人となり、敗退の危険も出てきた。
しかし、セレソンは負けなかった。
ロマーリオが天才的なプレーで敵を抜き去り、柔らかなボールを前方に送ると、
ベベットが勝敗を決めるゴールを決めた。
それまでブラジルの猛攻に耐えてきたアメリカのGKのトニー・メオラも地面に倒れていた。
ブラジルは10人で開催国を破ったのだ。  
ゴールを決めたあと、ベベットはロマーリオに向かって走り、こう叫んだ。

「愛しているよ、兄弟!」

2人が抱き合ったシーンは、ブラジルがひとつにまとまっていることを現していた。  

準々決勝のオランダ戦は、大会中、最も難しい試合のひとつだった。
2点目のベベットのゴールは本物のゴラッソというやつだった。
ベベットの喜びは最高潮だった。
なぜならその数日前に3人目の子供、次男・マテウスが生まれていたからだ。  
彼の妻はブラジルで出産したため、ベベットはまだ息子をその手に抱いてはいなかった。
そこで生まれたのが、かの有名な"ゆりかごダンス"だ。
ロマーリオ、マジーニョとともに赤ん坊を抱き、左右にあやすよう動かし、この様子は全世界に放送された。

そのマテウスは今、プロサッカー選手になっている。  
そして、ベベットのもうひとつの有名なエピソードは日本で生まれた。(つづく)

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/510224ecb032eb3a4a93de1c764aad6792f429a8

1:名無しさん@さかまと!

94年はロマーリオとベベットのコンビが
強烈にハマってたな。
中盤以降は華は無いが堅実で実効性に優れた面子で
当時は守備的でつまらないチームと叩かれた。
ボールがない時は地蔵だがゴールを陥れる才能は
世界最高クラスのロマーリオの周りを
衛星的に動きアシストもおとりも出来て
決定力も高いベベットの2人で試合をモノにしていた。
クソ暑い悪環境だったが面白い試合が多かったね。

 

2:名無しさん@さかまと!

94年のブラジル代表は、ライーが不調で途中からマジーニョに変わったのもあり、
やや守備的でしたからねー。

ジーニョ、ドゥンガ、マウロシルバ、マジーニョだとボランチ4枚に近い構成です。
大雑把には今の日本代表でなら橋本、遠藤、山口蛍、柴崎で中盤を構成したようなものでしょうか

守備が固い一方、ロマーリオとべベットに攻撃の負担は集中していた訳ですが、
それでも二人+時折攻めあがってくる他の八人で、何とか点がとれてしまうチームでした。
ブラジルでの評価はそれほどたかくないであろう1994年チームですが、
イタリアやドイツあたりサッカー文化なら、遥かに高く評価されるのではないでしょうか。

 

3:名無しさん@さかまと!

ベベトとロマーリオ。94年W杯当時の世界最高のツートップが懐かしい。
特にオランダ戦は後半だけで5得点の壮絶な打ち合い。
ベベトとロマーリオが決めれば逆にベルカンプがサイドネットに叩き込んでやり返す。
最後はベテランのブランコが地を這うようなフリーキックを決めてオランダの息の根を止めた
本当に面白い試合だった。

 

4:名無しさん@さかまと!

今、柴崎がベベットがいたチームにいるのですね。
鹿島つながりで感慨深いです。
全盛期は過ぎていましたが鹿島に移籍が決まった時はワクワクしたのを覚えています。

 

5:名無しさん@さかまと!

あぁ!子供が生まれたから揺りかごダンスしてたのか!
恥ずかしながら初めて知った!
個人的に94年大会で印象に残ってるのは決勝のバッジョのPKと、
マラドーナのスルーパス→カニーヒアのゴールと、この揺りかごダンスだったなぁ。
クリンスマンとコロンビアの、、、誰か忘れたけど無理向き様の凄いボレーシュートもあったなぁ。
高校生だったから凄い心に焼き付いてる

 

6:名無しさん@さかまと!

終わってみればブラジル史上、他のチームとも甲乙つけ難い素晴らしいチームだったが、
決勝でイタリアと最低の試合になってしまい
暑さとPK戦とトロフィーとマラドーナぐらいしか記憶に残っていない。
日本が行けなかったことすら忘れてしまう。

 

7:名無しさん@さかまと!

べベット、懐かしい!
W杯後、よくJリーグに来てくれたよ。。。

特別なスピードやキック力があるわけでもない、
高さもないのに、セレソンでレギュラーが不思議だった。
しかも、オーバエイジでオリンピックまで呼ばれてる。
不思議だった。

現代サッカーでオトリの動きができて、
誰とでも合わせれるダミーFW、ゼロFWのポジションの先駆けだったと思う。

 

8:名無しさん@さかまと!

オランダ戦でオフサイドポジションにいたロマーリオのしかとっぷりが印象的だった。
ルールが変わった直後の大会だったから審判も大変だったと思う。

 

9:名無しさん@さかまと!

ゆりかごダンス、懐かしい️
夜中、夢中になって見ていたアメリカワールドカップ️
コロナが収まって、またサッカーを見たい

 

10:名無しさん@さかまと!

ブラジル人ストライカーの中で過小評価されている1人。
スーペルになる前のデポルでロマーリオを差し置いて得点王を取った実力は伊達じゃない。
それだけ実力がありながら、変にエゴがないのも素晴らしい。

ジーコの穴どころか、
90年のカレカ、ミューレルのレイソルコンビを4年後には完全に食ってしまったね。
90年はロマーリオもベベトもこの2人の控えだったけど。

 

11:名無しさん@さかまと!

選手としての晩年、再びフラメンゴに戻ったベテランのジーコをベベット始め、
ジョルジーニョ、ジーニョ、レオナルドら次世代の若手がサポートして
アイドルジーコの花道を飾っていたことも忘れられない。

 

12:名無しさん@さかまと!

アメリカワールドカップのブラジル代表は日本へいっぱい来てますからね。

まぁ当時個人的にはびっくりしかありませんでした。

 

13:名無しさん@さかまと!

この時のセレソンのレギュラーが2人、
近い未来に日本に、鹿島にやって来るとはこの時まだ誰も予想だにしていないのであった

 

14:名無しさん@さかまと!

ロナウドやロマーリオと比較すれば地味だが、ロマーリオとのコンビは好きだった。

 

15:名無しさん@さかまと!

ロマーリオとベベット、それにバッジョの米国大会でしたね。

 

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